井戸茶碗の謎解き 番外!柄杓掛けの可能性 野口以織 以織窯

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番外!柄杓掛けの可能性

〈井戸の施釉方法についてです。〉

直径17センチの生素地大井戸をズブ掛けするとなると、爺も臆します。だから4〜5年前の爺の井戸施釉方法は両手を使って生掛けしていました。高台内の対角部に両中指を入れ両親指で口縁を支え、恐る恐る釉樽の中にに浸けていました。この方法が古作と違うことは知っていましたが、危険なので止められずにいました、さる茶道家様から注意をうけるまでは。その方のご指摘「本歌は釉薬が二箇所からは垂れていません」。ありがたいご指摘のおかげで、あれこれ施釉方法を実験することになります。その間、使用する素地土にも変化があり、ズブ掛けでも口縁が割れにくくなってきました。そうして落ち着いたのが、右手のみによる施釉でした。右手にこだわっているわけでありません。頸椎椎間板ヘルニアの爺にとって左手では不安定だからです。


写真1;3本筋が顕著に表れた大井戸茶碗。

高台内側に右手中指を置き、口縁の右手親指とで茶碗を挟み込むように支えて施釉していました。そのまま釉桶に一気につけ込み、見込みに釉薬が残らないよう斜めに引き上げます。釉切りの加減で幕掛け風の釉なだれが出来ることを狙っていました。ところが前回(h23年6月)の焼成後、疑問が生じたのです。前回から釉薬の組成が変わっています。釉薬中のカオリン分が増えました。結果、釉薬の厚いところの乳白色化が進みました。そして表れたのが正面に掛かる3本の線(写真1)でした。この3本線をスタッフの姉は「やぶれ傘」と呼んで気に入っています。野草の「やぶれ傘」のイメージそのままだというのです。しかし、爺としては常に3本線では、表現が固定化されるので不納得です。どうして3本の釉流れが出来るかというと、施釉のために高台内を支えている指から釉薬の余りが垂れるからです。真ん中の線はもちろん右手中指から、左右の2本は中指に沿わせた人差し指、薬指からの流れです。いままで気にならなかったのは釉薬の透明性と、施釉の度に中指以外の指の位置が定まっていなかったからです。中指に人差し指、薬指を沿わすことで、高台付近に溜まる釉薬の量が増えることを期待した結果、かような指の形で支えた訳です。釉薬の厚いところはよくカイラギ化します。施釉時、釉溜まりが必然として出来れば、カイラギの景色が豊かになると考えたからでした。しかし古作の景色とは違ったものになりました。

古作そのままの再現が必要かどうか、正直、爺にも疑問です。施釉によって生じる景色が古作と違っても、佳き茶碗に焼き上がればそれでよいと思っています。それでいながら、古作の表情には「いかなる必然」が隠されているのか、気になることしきりです。そして古作の井戸釉薬が爺のそれに近いとしたら(釉薬の話しはもうしばらく後にさせてください)、その釉薬は今より貴重な存在のはずだから「節約して」施釉したはずだと、長い間、思いを巡らせていました。だからズブ掛けではなく柄杓掛けではないだろうかとの想像はありました。小井戸の名碗「六地蔵」の写真を見る限り、ズブ掛けでは出来ない表情を見せていますし、実見した小井戸「江岑」もズブ掛けとは考えられませんでした。では何故ズブ掛けにこだわっていたかというと、大井戸こそが爺の基準だったからです。大井戸が柄杓掛けであるはずがないという先入観が爺を曇らせていました。何年か前、出光美術館で大井戸茶碗「毛利井戸」の展示がありました。古画中心の展覧会であったせいか「毛利井戸」もまた書画に混ざって薄暗い中に置かれていました。シルエットがわかる程度の暗さです。仕方なしに携帯の画面を照明代わりにしたほどです。展示の方法を考えてほしいものです。ところが姉は「毛利井戸」の見込みに斜めの釉流れを見たというのです。ズブ掛けでは出来にくい表情だと言います。だとするならば、この時点で爺は気付くべきでした。短気な爺は照明の暗さに腹を立て、観察を怠っていたのです。

ともかくズブ掛けは止めにしましょう。古作の高台脇にはっきりとした指跡を見ない以上、高台脇を持っての施釉はありえません。ということは、萩茶碗の施釉のように(施釉方法の名を知りません)一瞬茶碗を沈めて、釉掛をする方法も採用していない可能性が大でしょう。(ただし、すべからく断言はできません。様々な陶工が様々な方法で施釉しているはずですから。)

理屈はこの辺で止めて柄杓掛けを試してみましょう。まずは片手で高台脇を持って見込み内に柄杓で釉薬を注ぎます。それから茶碗を回しながら釉切りを行います。次に指をいったん離して、高台内を中指で、口縁を親指で挟んで茶碗を返し(高台を上に向けて)、茶碗の外側に釉薬を柄杓掛けします。高台内から腰、胴に至るまで素早く釉を柄杓掛けするわけです。手を返して釉薬を切れば施釉は終わりです。施釉が済んだものを見ると、口縁から釉が垂れて固まっています。大きなカイラギの粒になりそうな釉溜まりが口縁を一周しています。古作の表情にはなりそうもなく、醜い仕上がりが想像できます。しばらくして釉薬が乾いたところで触れてみました。なんと、口縁の釉垂れが剥げていきます。


写真2;上水を掛けても釉薬が厚乗りすると表れる口縁部のブツブツした釉固まり

失敗経験ならどなたにも引けをとらないと自負している爺は(エッヘン)こんな時にも慌てません。こんな時は、あらかじめ「上水」を掛ければイイのです。そこで茶碗の口縁部内外に平筆で水を塗ってから同じように柄杓掛けで施釉してみました。今度は口縁に釉固まりは出来ません。しかも茶碗の胴に表れた釉流れは、上水を掛けた部分の下から流れ始めています。これって、古作の幕掛けそっくりです。そこで本番では筆を使わず、桶に浅く水を張って、施釉前に茶碗の口縁部を浸す事にしました。この方が能率的です。古作の陶工も選んだに違いありません。ただし心配が残りました。上水が掛かり過ぎた部位の釉薬の乗りが明らかに薄いのです。段差ができています。どんな焼き上がりになるのやら、結果は2週間後です。(以上のことは釉薬の濃度が適正で、適量に掛かった時です。厚掛けするとやはりブツブツの釉固まりが口縁を覆います。が乾いても剥げません。写真2は少々釉薬が厚掛けになった茶碗の焼成後の口縁です。)


上水掛けの結果、釉流れのスタート位置が変化

古作の口縁部に一見「木製品」かと疑う質感をしたものがあります。釉薬の掛かりが薄い部分であることは誰の目にも明らかです。ただどうしてこうなる必然があるのか判りませんでした。2週間後の焼き上がりに爺はほくそ笑みました。上水が掛かり過ぎたと心配していた釉薬の薄い部分が木製品のように見えます。古作と同じようです。釉流れのスタート位置と共に、これも古作の素地と釉薬の相性が、柄杓掛けで施釉するには上水が必要だった可能性があることを示唆していませんか。で、それは爺の井戸素地と釉薬とが古作に近づいていると言い換えることが出来るでしょう?エッヘン。(2011/7/21)


上水を過剰に吸ったために釉薬が薄い部分の焼き上がりは木製品を思わせます。


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