はじめに
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井戸茶碗の形さえしていれば井戸茶碗と呼べるのか、カイラギが高台周りに出来ていれば井戸茶碗と呼んでいいのか。はたまた枇杷色をしていなければ井戸茶碗とは呼べないのか。それ以前に井戸の枇杷色とはいったいどんな色なのか。きっと皆さんも素朴に素朴に感じるはずの疑問から私・爺もスタートしました。井戸茶碗の用途の謎は原産国・韓国の人々にお任せして、作り手の立場から井戸茶碗のパズルを解いていきます。おつき合いくだされば幸いです。 |
| 例えば国宝・志野茶碗「卯花がき」の形そっくりな銅緑色の茶碗を前にして、どなたも「志野」とは呼ばないでしょう。「織部」とか「総織部の半筒茶碗」とか呼ぶことでしょう。反対に色が白いからだけの理由では「志野」と呼ばれません。志野には「志野」と、織部には「織部」と呼ばれるにたる固有の質感を、それぞれが持ってますよね。それなら井戸茶碗だって「井戸」と呼ばれるにふさわしい何かを呈していなければならない。と、爺は考えました。井戸茶碗である前に「井戸焼き」でなければならないはずです。 |
| ところが井戸茶碗に限って伝世のものは茶碗ばかりが目に入ります。井戸茶碗が雑器であるかないかは別として、かの地の陶工達が茶碗以外焼かなかったなどあり得ない話しです。茶碗以外のものが今に遺っていれば「井戸焼き」の特徴は(茶碗固有の約束事から解放されて)単純化されるはずです。捜していたら見つかりました。まだ現物を目にしたことはないですが、これは誰が見ても「井戸焼き」です。井戸手と呼べる何かを確かに持っています。淡交社発行「茶陶の美1/茶碗の創成」93頁にそれはあります。高さ75mmの小さな香炉です。利休が所持していたのが今に伝わったそうで、銘を「此世」というんだそうです。根津美術館にあります。井戸焼き再興が流行している今にふさわしい銘ですね。あの世と現世を結びそうです。機会があったら、ぜひ頁をめくってみてください。 |
| 幸運が爺にやって来たのは7年前です。頸椎椎間板ヘルニアにて手術要と診断された爺の左腕は枯れ木のように垂れていました。家庭の事情で手術入院はできません。幸いの一番目は息子(娘の夫)がカイロプラクターだったこと。おかげで部分麻痺は残ったものの、半年で、茶碗ぐらいの大きさまでロクロ引きできるようになりました。幸いの二番目は、病気のおかげでそれまでの多作販売を止めねばならなかったこと。豊かさとは引換でしたが、井戸の謎解きに専念できたのです。しばらくして(長い間、焼物に親しんでいるわけですから)長石主体の釉薬を使って茶碗の高台周りにカイラギらしきものを焼き出すことができました。しかし、それは志野の柚子肌と呼ぶべきもので、井戸のカイラギとは呼べない代物です。そこには「井戸といえば高台のカイラギ」と単純に思い込んでいた爺がいました。進展のない爺はある日、虫眼鏡で本に刷られている井戸茶碗を覗き込みました。その本とは淡交社発行「茶道具の世界2・高麗茶碗」という薄い入門書です。爺の中ではじけました。「そうだったのか」。これが幸いの三つ目。謎解きの本当のスタートはここからでした。<2010/9/28> |
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