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以下の記述は5年前(現在2005年6月)のものです。低級の参考資料として扱ってください。
現在の作品は以織焼きページに掲載しています。
| 黄瀬戸といえば、油揚げ肌、抜けタンパン、そしてコゲが見所の三大要素です。今回はこのうち抜けタンパンのお話し。右の写真は以織作の黄瀬戸異形鉢。内壁の2カ所の緑が抜けタンパン。向こう側から打ったタンパンがこちら側に抜けたものです。下の写真は上写真の正面の裏側。つまり正面から打ったタンパンが内側に抜けている様子です。タンパンとはそもそも何でしょう。天然の硫酸銅と焼物辞書にはあります。硫酸銅は水に溶けます。故に黄瀬戸の薄い器胎を通して表から裏へ抜けていくというのが、よく本に書かれてあることです。昔の茶人はタンパンの抜けを有する茶器を愛玩しました。それが「抜けタンパン」という言葉を生み、われわれ陶工を「黄瀬戸をやるなら、せめて抜けタンパン |
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だけでも」と悩ませます。たしかに黄瀬戸、志野、織部と桃山時代にカラフルな名陶を焼き出した美濃は鉱物の産地です。今でも岐阜県の神岡銅山は有名ですし、その他の金属鉱物も豊富です。だから天然の硫酸銅を桃山の工人が使用したとしも話の筋は通ります。ここで黄瀬戸という焼物をおおざっぱに振り返ることとしましょう。桃山時代の美濃の焼物であるというのは前述の通り。木灰釉を掛けて穴窯でじっくり焼かれました。焼成は基本的に酸化焼成。木灰中の僅かな鉄分が酸化焼成で黄色に発色、名の由来を生むこととなる。と、こんなところでしょうか。昔は焼物の産地として美濃の名は知られていず、室町時代まで中部地方の大窯業地として栄えた瀬戸の名が冠せられたと言います。 |
| 昭和の名工・荒川豊蔵氏が若き日に美濃の山中を歩き回って、伝世の名品茶碗と同じ文様の志野の陶片を見つけたことは有名な話しです。それまで志野も瀬戸の産と思われていたわけです。黄瀬戸も同じ。しかして黄美濃の名はありません。黄瀬戸は桃山の工人が工夫した装飾を持ちます。ひとつは彫り。これは黄瀬戸の先祖というべき古瀬戸から受け継いだ線彫りによる文様です。鎌倉期から室町まで瀬戸で焼かれた古瀬戸と名を持つ焼物は流れやすい灰釉を使用した焼物であり、志野のようには絵を描くことができません。もっとも、志野釉に使う長石は桃山時代から使われた焼物材料であり、単味で半透明に焼き上がります。鬼板と呼ばれる含鉄土石で器胎に絵を描き、その上から長石を主体とした土石だけでの釉、すなわち志野釉を掛けて焼き上げると下の鉄絵が表れるわけです。それまでの灰釉では、たとえ絵付けをしたとしても、灰釉中に鉄が熔解してしまい、絵の形など望むらくもありません。灰釉の流れを汲む黄瀬戸の文様が彫りであるのは道理なのです。しかし桃山の陶工は鉄絵材料の祖となる鬼板を装飾に加えました。それがコゲ。黄瀬戸の彫り文様の部分に点景を与えています。僕の写真にも彫りのところに顔を見せているでしょう。ただし黄瀬戸の見所のひとつとされるコゲはこれだけを指さないので複雑ですが、その話しは別項で。そして残るはタンパン、黄色をますます春景色へといざなう若草色をプラスします。 |
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前置きが長くなりました。故・荒川豊蔵氏は古窯の発掘現場で銅銭を焼いた跡を発見したと書いています。昔の陶工は銅銭を焼いて緑青にし、よく磨ったうえタンパンにしたと続けています。天然の胆礬ではなかたのかも、ということになります。または、最初は天然産であったが人工でも出来たということかも知れません。銅を扱う歴史は古いので硫酸銅のような水溶性の銅酸化物も彼らは簡単に作ったかも知れません。そう僕は考えて抜けタンパンに挑みました。僕が思いついたものは「酢」でした。桃山時代であっても酢は簡単に手に入ったことでしょう。酸化銅はダメでしたが、炭酸銅は酢に溶けました。泡を立てながら気味の悪い青色液が出来上がっていきます。いかにも毒々しくイヤな臭いを発します。それなら酢酸を使えば簡単に濃度の濃い酢酸銅が出来るはずだ。酢酸をたらした炭酸銅は猛烈な勢いで泡を立て、臭気を放ちます。水溶性の銅酸化物の出来上がりです。昔の陶工も毒気に耐えながら作ったかもしれないのです。喜び勇んで酢酸タンパンを打った黄瀬戸を焼成します。正確に記すと黄瀬戸になるであろう釉薬とタンパンのテストです。それから毎週毎週テスト焼きを繰り返し、黄瀬戸の原型と呼んでも良さそうな作品が焼き上がった時、3年の月日が経っていました。思い出すと最初の頃は酢酸銅の溶液が器胎の裏に抜けるまで塗りました。だからといって良い結果を得たわけではありません。今は、ただ筆でおくだけです。タンパンを打つと特異な言い回しをしますが、打ちません。置くだけで良いのです。黄瀬戸が焼けるということは、タンパンは当たり前に抜けるからです。 |
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| しかし、つい最近まで気になることがありました。僕の抜けタンパンは青味がかっていたのです。桃山時代の抜けタンパンは若葉色をしています。疑問でした。去年の初秋、志野を焼いた時、まる一日徐冷を増やし6日間を掛けて焼いてみたところ、いままで出なかった志野の火色が出ました。その焼成法を黄瀬戸に試してみたのです。冒頭の写真はその時の黄瀬戸鉢です。結果は、初々しい若葉色した抜けタンパンが誕生していました。黄瀬戸と呼べそうな妥協点を得たときから、僕はその焼成法を転用し始めました。そんなテストを続けていますが、つい最近がく然とする結果に出会いました。すぐ左上の写真は韓国のカオリンを胎土とした茶碗です。茶碗の下部を一周しているのは酸化銅、水溶性の酢酸銅ではありません。なのに内側に抜けている。立派な抜けタンパンです。黄瀬戸よりたくさん銅を使うから、あの毒性を強く持つ酢酸銅では気分が悪くなる。安全な酸化銅を使おうと思ったのです。だから抜けタンパンは期待などしていませんでした。それなのに抜けタンパンが出たのです。ということは今までの銅の扱い方は違っていたということです。そもそも胆礬などという水溶性の危険な銅は始めから必要ないということではないか。安全な酸化銅で事足りるのです。ますます大切なのは焼き方なのです。これによって自家製の酢酸銅を作ってタンパンが出来たと鼻高々だった僕は浅はかだったわけです。この長い文章も皆様のお目汚しになてしまいました。とはいえ、僕がこの原稿を書くことが出来るのは、酸化銅でも抜けタンパンになるという予想もしなかった経験の結果です。 |
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| べらぼうな時間と費用がかかってしまう焼物の研究においては、どうしても秘密があります。聞けば、コロンブスの卵で、さしたることでは無いのですが、そこに至るまで長い時間は秘密にしておきたい気持ちを誘うのです。もし、危険を承知でこれからも水溶性の銅酸化物を扱うのであればこれは内緒事でした。しかし、焼物材料店で毒性のある炭酸銅(緑青)も、果ては硫酸銅すら誰でも簡単に手に入るのは事実です。酢酸銅も染め物材料として売られています。その他、焼物とくに釉材料には僕らの知らない毒物があります。皆さんが気安く使っている市販の釉薬に毒物が含まれているかも知れせん。ほとんどのものは毒物の表示も無しに小分けされて売られています。僕は自家製酢酸銅の取り扱い時には注意に注意を払ったものでした。皆さんも充分注意して扱いましょう。重ねて書きます。抜けタンパンに危険な硫酸銅、酢酸銅は不必要です。焼物は焼くこと。焼きの工夫が何かの手応えを生みます。<00年5月までの経験値> 以織 |
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