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生掛け

以下の記述は5年前(現在2005年6月)のものです。低級の参考資料として扱ってください。

現在の作品は以織焼きページに掲載しています。

釉ムラを出すなら生掛け(古瀬戸釉小壺)
僕はほとんどの素焼きを行いません。素焼きをしないとどうしても釉薬が掛からない土の場合や、細工の都合で生掛けが危険すぎると判断した場合のみ素焼きをします。素焼きをしない方が手間が省けるとか、コストが安く済むとかいう理由ではありません。むしろ生掛けの方が釉掛け中に割れてしまったり、焼成後に生掛けのためにできたと考えられる傷が出ることが多く、むしろコスト高になるでしょう。それでも生掛けを止めないのは理由があります。生掛けは通常、生掛けをしたことによる釉ムラそして釉切れや釉飛び、具体的には志野のユズ肌や井戸のカイラギといった、見方によっては欠点をむしろ陶器の味として積極的に表現しようとするとき使う方法です。しかし僕が生掛けにこだわるのはこうした「味」以前の大切さを生掛けに見出したからです。
自作の黄瀬戸異形鉢です。右の姉が作った黄瀬戸と比べてください。釉も焼きも一緒ですが土だけが違います。こちらは美濃産のカオリンが含まれているらしくやや赤目の発色です。
陶器を焼くということは、どれだけ焼いたらいいのかという問いに答えを出すことです。温度×時間に酸化還元という雰囲気が関わった複雑な問題に解答せねばなりません。独学の僕には信じられる根拠を探す必要がありました。僕なりにそれは薪窯を焚くという実験に向かわせました。今では薪窯だけでなくガス窯も電気窯も使います。ただしガスも電気も焼成曲線は薪窯のそれを踏襲しています。ずいぶん以前、若い頃は、新しい焼物は新しい焼き方でと、めちゃめちゃに焼いてみましたが、美しいと呼べるものに出会えませんでした。それに薪窯は窯の言うことを聞かないと温度が上がっていってくれません。結局、自然の前には自分勝手な都合など無力と知った後、窯から教えてもらっています。それはそのまま土にもあてはまってしまいます。土の言うことを聞かないわけにはいかないのです。生掛けの話に窯のことを出さねばならなかったのは、僕の焼き方にあります。僕の焼き方は例えば織部焼きを穴窯なら三日間、ガス窯では60時間くらいかけます。最高温度は1180℃up。でも1280℃のゼーゲル錐が倒れます。つまり温度を低めで時間を長くしてカロリーで焼く焼き方です。それで灰釉というより灰のみを掛けただけの原始的な釉薬を疑いもなく熔かしてきたのです。ある日、僕は思いつきました。生掛けでこれだけ熔けるのだったら、本焼きした素地ならすでに素地を焼く分のカロリーを与えているわけだから、釉薬は良く熔けるはずだと。釉が熔けるだけのカロリーだけで済むのだから。このときの実験に使用したのはいつもの灰だけ釉です。そしてカサカサの熔けきっていない実験結果を得たのです。思いも寄らない結果に僕は気づかされました。「昔は生掛けだった」というのが、僕を生掛けにこだわらせた理由でした。そして生掛けが可能になった僕にうぬぼれていました。僕が日頃掛けていた灰だけ釉は、素地の成分を誘って釉ガラスとなっていたのでした。その後も市販の釉薬や単品で釉ガラスになる配合でテストしたことはありません。ですが僕の焼物には今のところそれだけでガラスになってしまう釉薬は必要ありません。素地と結婚して釉ガラスを完成させてくれる生掛けを教えてもらったのですから。
僕の主宰する以織窯の仲間のひとりに僕の姉の小宮加津子がいます。上の写真の黄瀬戸輪花鉢は加津子の作です。土はふだん使っている美濃の蛙目系の粘土が中心です。左下の僕の作と比べると、こちらの方がずっと黄色いのがわかります。それぞれの色はそれぞれの土からでます。発色の主役は同じ鉄分なのでしょうが土の成分の違いがこんなに影響するのがわかります。生掛けにこだわる理由がここにあります。
生掛けにこだわっていた僕は、知らず知らずに素地成分をもらわなくては釉薬の完成をみない未完成釉を作ってきたことになります。図らずもそれは、素地成分が釉薬中に熔込みつつ焼き上がる方向を目指していたと思われる伝統的陶器の製法に合致していたらしいのです。ユズ肌やカイラギといった質感に関わるものだけでなく、例えば黄瀬戸の黄色など素地中の鉄分が釉薬中の鉄分とプラスしつつ発色することを考えると、生掛けの表現に対する優位性は明らかだと思うのです。感覚的に言えば、土の色を釉薬の表面に出すことを望むなら、生掛けが一番です。
関連リンク
●カイラギ
小貫入

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