作者と作品>陶仏と私

多くの日本人がそうであろう程度に私も仏教的信仰心を持っている。
いや、それほどしか持ちあわせがない私が焼物で仏像を作るにはそれなりの訳があった。
私の住む蓑毛は神奈川県の西北、丹沢山塊は大山の裾野である。
そしてここには「大日堂」と呼ばれる古くからの名刹が静かに建っている。
「大日堂」の話はリンクで読んでいただくとして、
「大日堂」には何かと私を助けてくださった名物和尚がおられたのだ。
そう、過去形でお話せねばならない。和尚は昨年(h16年7月)亡くなられた。

十年前のある日、
ぶらりと私の窯場にやってこられた和尚が私に勧めるに「仏教的オブジェを作れ」と言う。
現代的である。私は迷った。もちろん仏教の知識もない。
悩んだあげく私に浮かんだものが「仏手」だった。
幾日、小さな手を作ったことか。それを土で作った板に貼り付けていく。
造形とか美術とかではない。ただただ作業だった。
焼き上がった仏手に和尚はたいそう喜んでくれて、自慢の尺八を聞かせてくださった。
尺八の名手でもあったのだ。
ここ数年は互いに忙しく楽しい時間を過ごすことがなかった。闘病中の身とは知ってはいた。
それを表に出さない和尚のお勤めの姿に感心してはいたが、突然の訃報だった。
そして、その訃報を聞く私の左腕は枯れ枝のごとく細く垂れ下がりマヒしていた。

ままならないなとつくづく思う。人から見れば順風満帆の私だったと思われる。
しかし私は頸椎椎間板ヘルニアにて手術要と診断されていた。
手術を拒否して去勢を張ったものの、どう暮らしていけるのか見当がつかなかった。
幸い娘の夫はカイロプラクターだった。息子は温浴療法を勧めてくれた。
いまこうしてあるのは、和尚と家族のおかげだ。
左腕のマヒは残っているが、なんとか作業をこなしていける。
「半病半陶です」なんて冗談を言うことができる。
私がリハビリにと選んだのは和尚の没後作り続けたこれらの皿鉢仏だったのだ。

鉢に仏像を仕込んだものを私は知らない。
古くから凸面をした金属盤に仏像を配して壁に懸ける「懸仏」がある。
鎌倉の長谷観音には私の好む懸仏が展示されている。
懸仏をヒントに凹面の鉢の中へ仏様に入っていただくことにした。

千手観音の手は指一本一本、土を撚る。
作業中いつもは饒舌な私が寡黙になり、根気のない性格が粘り強く変わる。
もう貼り付ける場所がなくなって作業は終わり、いつもの疲れ切った私に戻る。
そして、あれが「祈り」なのかなと思う。
和尚が喜んでくれたものの実体とも。

千手観音皿鉢仏作者・野口以織(h17/05/23)