宝蓮寺縁起
平成22年11月28日、落慶法要が行われた宝蓮寺ですが、その歴史は古く鎌倉時代に遡ります。
胸までとどく髭をたくわえた壮年の僧が、今日も軽い足取りで急な山坂を登っていく。
途中、すれ違った樵が重い荷物に体を揺らしながら急いで道を空け、顔に似合わないほど丁寧に合掌し「お籠もりだべか」。
「さよう。新月も近いでな」。樵に向き直った僧の髭先が大きな笠でも守りきれないのか
縮れているのを目にとめながらも樵は二の句を告げなかった。
この日始めてである。
遠くで日に焼けた逞しい姿を見かけたはしたが、今間近に見る僧には嗅いだことはないが「都のにおいがする」。
畏れおおさと恥ずかしさで咄嗟に頭を下げて山道を下った。「やはり噂は本当だった」。
蓑毛の人は「わたくし雨」と呼ぶ。僧が登っているのは、いわば大山の縄張りである。別名「雨降り山」と人の言う。
今朝も昇る朝日に相模湾は遠くながら大きな壁のように輝いて、大島の島影を揺らしていた。
それなのにである。午後も早くから今で言う「ガスけている」のだ。
ただでさえ鬱蒼とした森で、霧の中から一瞬で表れた僧に樵は気付くのが遅れたのだった。
こうして緊張が解けてくると僧が言葉を返してくれたのが嬉しくて、ひとり笑った。
僧の長い髭先が霧にしとって妙に縮れ上がっていたのには笑いを止められなかった。
僧は決めている。新月の夜はこの先の峰の上で籠もるのだ。
そのため小さな方丈は編んである。霧間に白滝を見上げて「いそいで禊ぎを済ませねばなるまいて」。
「春嶽さま」。皆が慕うこの僧こそ、後の仏国国師(1241〜1316年)その人です。
現在の宝蓮寺の場所に居を構えたと伝えます。
蓑毛からヤビツ峠へ向かう途中、林の中で神秘的に水を落とす滝で修行したといいます。
故に滝の名は「髭僧の滝」。滝の先にある春嶽(はるたけ)の峰にて方丈を結び、
座禅に励んだ跡が今も残るそうです。(宝蓮寺先代和尚様談)
調べて見ると春嶽山の位置には諸説あって、古い地図ごと記載された場所が違うそうです。
土地の古老の話では大山の手前の峰全体が「春嶽」で、曰く「蓑毛から見ているのは大山でなく春嶽山だ」。
先代和尚様が指さされたのは古老の言う春嶽山の中腹、峰から下る尾根のひとつです。
南側、海に向かって急峻な崖肌を見せています。(全体が春嶽なのか一部が春嶽なのか筆者には判りません。)
「何人かは落ちただろうな」。
座禅中、睡魔に負けて谷底へ落下していった修行僧がいるはずだと先代様は続けました。
かって修行はそれほど過酷なものでした。
仏国国師は後嵯峨天皇の皇子です。高峰顕日(こうほうけんにち)の名で一般には呼ばれます。
若年より関東に下って修行を重ね、後に鎌倉・建長寺に入り第十世営長となります。
その国師様が近隣のいくつかの寺院を統合して開山したのが現在の宝蓮寺で、
当時は「薬音寺」と名付けられたそうです。
正応2年(1288年)鎌倉時代後期のことです。
「春嶽さま」の徳を慕って参詣往来の人多くして、市が立ったと古文書に伝えがあるそうです。
室町初頭の南北朝時代には臨済宗の禅僧・抜隊得勝(ばっすい・とくしょう、1327〜1387年)が
大日堂に道場を設け、国中より三百人を超える修行僧が集まったそうです。
抜隊得勝は地元、足柄上郡中井町の生まれで、
後、山梨県甲州市塩山に向嶽庵を築き、臨済宗向嶽寺派の祖となった人です。
戦国の動乱で寺は火災に遭ったそうです。荒廃が進んでいた寺が立て直されるのは、
世が落ち着きを取り戻してやや経った寛文9年(1669年)まで待たねばなりませんでした。
蓑毛村を領地としていた旗本・揖斐与右衛門が身内の迎接院宝蓮信女の菩提を弔うため薬音寺を再興、
そして「宝蓮寺」と改名したのです。
同時に百姓・平左衛門が管理していた大日堂全体が宝蓮寺の預かりとなったそうです。
今この時(平成22年12月)女性和尚様が誕生されたばかりの宝蓮寺、
その名の由来通り女性が預かる寺となったのは偶然なのでしょうか?
最後に仏国国師の詠める
「夜もすがら心のゆくへたづぬれば昨日の空にとぶ鳥の跡」
上記の和歌は「千人万首」というサイトで見つけました。水垣久様が膨大に収集する和歌のサイトです。こちらから。
このページを書くにあたっては、ずいぶんとネット上の情報をお借りしました。
そのひとつ「謎を秘めた仏たち」(川尻祐治著)をぜひご一読ください。こちらから。
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新伽藍の平成・宝蓮寺
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今日もお出迎えてくださる六地蔵様
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※なにぶん素人の編纂です。一般的に手に入れられる資料をもとにしか記述できません事をお断りしておきます。
新しい情報や画像が入り次第、その項を更新するつもりです。(2010/12/5)
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